DIARY  2017/02
2017/02/12
今期、冬山に行くのはきっぱりと諦めました。
中途半端に引っ張り続けてもモヤモヤするだけだし、ここはもう決めてしまいます。

7年前に山登りを再開してから、自分の中での最優先事項は山登りになりました。
もちろん仕事とか知り合いの冠婚葬祭など、社会通念的に譲れないものはそちらが上ですけど、プライベートという時間の中では山登り以上に優先されるものはなかったのです。

だから今回の件は自分でもビックリですよ。まさかそれを越えるものがあるなんてね。
職場では「山登りは飽きちゃったんですか?」なんて訊かれたりしましたが、むしろ山に行きたいという気持ちは去年より強いくらいです。
でも今もし山に行っても、恐らく"山にいる時間"を純粋に楽しめないだろうなと思うので……

2月とか3月中に「君の名は。」の上映が全国で終わったりしたら行きますけどね。
栃木だけ終わるんじゃ遠征してしまうのでダメです。今だったら少なくとも大阪辺りまでは躊躇しないほど病状が進行してますので。


あ〜あ、今振り返ってもやっぱりあれがターニングポイントだったなあ……
1回目を見に行った後、会社で「泣けないよね? 泣くところないし」と言ったときに職場の――名前を出すのは悪いので仮にA氏としましょうか――に、「○○さんの心が汚れてるんじゃないですか?」と言われて……
「はぁ!? この純真な俺を捕まえてそう言うか」(これは実際にこう言った)と、なぜ泣けないと思ったのか確認しに2回目へ行く羽目になって、そして後はもう堕ちる一方。
あの一言がなかったら今頃は雪山三昧だったろうと思います。こんなに毎日寝不足になることもなかったし。

でももしそうだったとしたら、たぶん今より楽しくはない日々だったんだろうなとも思います。
こんなに感情が揺り動かされることなんて久しくなかったですしね。
だから彼には感謝です。感謝しようと思います。感謝しなければならないのでしょう。
……あの野郎……!



……あ、そうそう、山と言えば一つだけ。(毎年同じことを書いている気がしますが)
「ソフトシェル 雪山」で検索してここに来られている方が結構いらっしゃいます。
これはたぶんソフトシェルで雪山に登れるかな?という疑問だと思うので書いておくと、もし晴れていて風も強くないなら、大抵の雪山はソフトシェルでも登れます。
例えば私はモンベルのノマドパーカで真冬の西大巓に登ったことがあり、特に不都合はありませんでした。むしろ透湿性の面から言えばハードシェルよりよほど快適と言えます。

ただですよ、そうは言っても「アウターはソフトシェルしか持っていかない」というのであれば絶対にお勧めはしません。
ハードシェルは無駄に高いから購入を躊躇するのであれば、せめてレインウェアは持っていくべきです。
もちろん天気図を見て今日は99%確実に天気は崩れないな、なんて日はざらにありますよ。だからそんな日に無駄に重いハードシェルは持っていきたくないなと思うのも分かります。

でも、もしその残りの1%に当たった時に死んでしまうかもしれないのが雪山です。
自分は今までソフトシェルで冬山を歩いていて、途中でハードシェルが必要だと思ったシチュエーションはたったの1回だけ。
でもあの1回は、ハードシェルがなかったら健康体では降りてこられなかっただろうな、と思ったものです。
皆さんにはそれぞれ待っている人がいるんでしょうし、無駄にリスクを上げるのは止めましょう。
準備不足だったから死んだっていうのは、少なくとも格好いい死に方ではないよな、と私は思いますよ。


■君の名は。20回目を見て

さて、また無意味な自分語りの始まりです。
前回は一応書くことを考えてから書き始めたので、(書いてあることに意味があるかを別にすれば)全体の論理展開はそんなに破綻してないと思いましたが、今回は何も考えずに書き始めたので収束するかどうかも分かりません。そして途中まで書いて思いましたが、前回よりはるかに酷い内容になっています。
一般の方は読んだ時間が無駄になるので読まないでください。会社の方々も同じです。また今回もネタバレありです。

2/8は自分としては英語字幕版を見るラストチャンス(地方民はつらいよ)でしたので、無理を言って有休をもらってまた東京へ。

TOHOシネマズ新宿

今回は朝にTOHOシネマズ新宿、昼は同六本木へ。
これで英語字幕版は3回見まして、やっぱり新鮮で良かったです。訳も堪能できましたしね。
ただ、君の名は。はRADの歌詞とのリンクが欠かせないので、そう言う意味では私のようにリスニングが苦手な人は少しもったいないかな、とも思いました。
4月から北米公開とは言っても大規模にはならないんでしょうけど、向こうでの反応が楽しみです。


ちなみに余談ですが、六本木は最近では珍しく他のお客さんの隣になりました。
これ、自分みたいな重症のリピーターにはちょっとキツイんですよね……
何がキツイって、初見では悲しくない場面なのに、こちらは泣いてしまうからです。

最近は三葉が瀧くんに逢いに上京するシーンがとにかく辛くて。
初見では「ああ、逢いに行ったんだ」程度のシーンなんですけど、
私の今の理解ではここは「三葉がこれまで自分の人生/境遇を我慢して受け入れて、本当にしたいことがあっても諦めてきたのに、初めて我慢できなくなって衝動的に行動してしまった」シーンなわけです。
その我慢できなくなったこととは、ただ一途に"瀧くんに逢いたい"ってことなわけで……
で、まずいことにこっちはその結果がどうなるのか知っているので、もう電車に乗るシーンからダメだし、バスの中でのモノローグ『もしかしたら…… 少し、喜ぶかな……』で、ああああ、そんなささいな願いくらい叶えてやれよ!と思ってもう涙が滂沱として止まらず。
でもここ、初見では全然泣くところじゃないから、「えっ、隣の人何で泣いてるの?やばくない!?」なんてことになります(被害妄想)。
まあ実際は横の人のことなんか見ていないでしょうけど、とにかく気まずいのでした……

109シネマズ佐野

そしてその週末は、まだ1日3回上映してくれていることに感謝して109シネマズ佐野へ。

で……
この佐野での20回目を見て、今更ながらと言うか、ようやく分かったことがあります。
これまで自分はなぜ10回を越えても毎回泣いているのかがずっと謎で――

この109シネマズ佐野では「君の名は。」→「艦これ」→「君の名は。」と1日に3回映画を見てきました。
この、間に挟まっている「艦これ」も人によっては泣ける作品らしく、隣に座っていた男性は目元をぬぐっていたりしたのに、自分はまったく無反応。
でも普段の自分からすればむしろこちらがデフォルトなわけです。
なのにその次の「君の名は。」ではまた泣いていたどころか、もう嗚咽をこらえるのに必死。

普通に考えれば慣れてきて泣けなくなるはずなのに、なぜむしろ回数を重ねる毎に悪化するのか――
そもそもなぜ同じ映画をこんなに見に行って、それでも見足りないと思うのか。

それは、たぶん自分がこの映画をハッピーエンドだと思っていないからなんですね。
"あの"新海監督からすればこの作品はもう究極にハッピーエンドに寄せたつもりなんでしょうから、これでハッピーエンドじゃないなんて言われたらもう泡を吹いて倒れてしまうかもしれませんが(笑)、自分にとってはハッピーエンドじゃない。

カタワレ時に、三葉が「……あ……カタワレ時が、もう……」と言うシーンがあります。
寄り添って立つ二人を背中側から映したカットですね。時間にすれば2秒あるかどうかの一瞬のシーンですが、この二人の距離感こそが自分の求めているものなんだろうなぁ、と思うのです。
この二人にとって、青春というのはこのカタワレ時のシーンで終わりなんですよ。
お互いに好きだと自覚してやっと出会えたかと思ったら、一緒にいられるのはわずか10分程度。これが終わればまた離ればなれになり、次に出会うのは8年/5年後。
これで、また会えたんだからハッピーエンドだ!とか言われても、それって帳尻あわせだよねと。
そもそもこれってラブストーリーでしょ? 恋人同士が一緒にいる時間が107分の中でたったの2分しかないラブストーリーってどういうことやねん!と。

いや、もちろん分かりますよ。この二人が同じ時を一緒に生きていけること自体が奇跡なんだから、それだけでも充分ハッピーでしょ?というのは。
でも今欲しいのはそういう理屈じゃないのです。50点とか80点じゃなく100点が欲しい。
カタワレ時のあの距離感のまま、お互いに17歳の状態でスタートして、一緒に人生を歩んでいって欲しい。

そしてそれが叶えられないから釈然としなくて、満足もできなくて、「ああ、いい映画を見たなぁ」という感情ですっきりと終われなくて、満たされない思いだけがどんどん強くなって。
だから、どうにかしてそれを満たそうとしてまた映画館に足を運ぶのだと、今はそう理解しています。

なので、飽きる日ってのは来ないでしょうね。泣かなくなる日も来ない。
行けば行くほど酷くなるんだから行かなければいいのに、行かないで我慢するってこともできないでしょう。
まあ病気だから仕方ないですね。上映が終わる日まで、たぶんこんな日々が続くんだと思います。



20回も見るとさすがにいろいろ気づくことがありまして、最近は口噛み酒を奉納しに行ったときの"三葉くん"の「三葉の、半分……」のシーンがお気に入りです。
監督の小説ではもっと軽い雰囲気なんですけど、この時の表情がね……
この台詞は重要なキーワードなので、伏線の意味であえてこうした表情にしたのかもしれませんけど、そういう意図を考えないようにするなら、この表情は瀧くんの三葉への気持ちそのものなわけで。
どうでもいい相手だったらあんな顔しないでしょ。ああ、この時点でもう、瀧くんにとって三葉は特別なんだな……と思うと、ぐっと来るシーンだったりします。

他の人の感想を見ていると、たまに「なぜお互いに好きになったのか分からない」という人がいますけど、人を好きになるのに別に特別な理由なんて必要ないと思うんですよね。
瀧くんが三葉に対する気持ちを真剣に考えるようになったのは奥寺先輩とのデートからですけど、その時の瀧くんの心理は自分の理解ではこうです↓


親近感や共感、同情から始まる恋があってもいいんじゃない? と思いますけどね。
大切なのはその気持ちが本物なのかどうかでしょ。

2017/02/04
冬山に行く時間が作れない……

ああ、こいつまた言い訳始めたな……と思われそうですけど、一応こちらとしては言い分はあるんです。
去年はスキーばっかりやっていた結果、冬山登山を始めてから初めてシーズンで一度も冬山に登らず、それが心残りだったので今年はスキーを減らしてでも冬山に行こうと。
とりあえず手始めに三本槍にでも、なんてそれなりの決意はあったのです。

……でも今の状況では今年は無理かも……
今、数十年ぶりに重病になってまして…… 重病と言っても健康面の問題ではなくて(と言いつつ今これを書いているのは数年ぶりの風邪で外に出られないからなので健康面もダメですけど)風邪とかそういう話じゃなく……

というわけで、今回は病人のタワゴトを書きつらねていきます。
山の話は書けません。山関係の方、毎回すみません。


■君の名は。英語字幕版を見に行って

今回も、延々と「君の名は。」について語っていきます。
「君の名は。」の話が見たくてここを訪問する人はいないでしょうから、この日記って誰得なの?というところですが、誰かに見せたいというより、後で振り返った時になぜ自分はあんな状態だったのかを知るのが目的です。

自分で言うのもなんですが以下の文章は極めて病的です。
(これまでに載せた日記の中でぶっちぎりで酷い)
それに、「君の名は。」の話と銘打っておきながら9割くらいはただの自分語りです。
なので普通の方は読まないでください。(ネタバレも含まれています)
当然ながら会社関係の方は絶対に読まないでください。振りじゃないですよ!


さて、いきなり本題だと読まれそうなので、少し別の話を。
1/22はまだIMAX版の上映週でしたので、成田に続いて次は東京に遠征してきました。

T・ジョイPRINCE品川

向かった先はT・ジョイPRINCE品川と109シネマズ木場。

特に品川は良かったですよ。客席の傾斜がきつめで前の人が気になりませんでしたし、プレミアムシートもちゃんとプレミアム感がありました。
音響はちょっと弱いかな?とは思いましたが、あの大スクリーンを前にすればそんなことはささいな問題。
こうしていい映画館巡りをすると、三葉じゃないですがやっぱり

いいなぁ、東京生活。

と思ってしまう面はありますね。栃木にあんな映画館ありませんし。
私は一応東京出身で、東京に住んでいた時に東京が素晴らしいとはなかなか思わなかったものですけど、こういう時はやっぱり向こうの方が便利だよなぁ、としみじみ考えてしまいます。


そして1/28、29の土日は、英語字幕版を見に再び東京へ。
ただ1/28(土)の方は前日の金曜の仕事が終わるまで休めるのかどうか分からない状態で、そして金曜の仕事が終わった時点では既に都心で宿を取るのが困難でしたので、土曜は新宿で字幕版を見る予定だったのを変更して109シネマズ二子玉で通常版を、そして日曜日にTOHOシネマズ六本木で字幕版を見てきました、

六本木ヒルズ

ということで日曜の朝、六本木ヒルズを見上げて。
あ、ちなみに二子玉も良かったですよ。いいなぁ、東京(ry


さて、ここからしばらく君の名は。とは関係ない話をします。
「感情移入」という言葉がありますよね。映画でもドラマでも本でも何でもいいですが、他のジャンルならまだしも、恋愛ものの作品を見る時に、感情移入しないで見ていたらたぶんそれはすごく味気ないものになるのではないかと、少なくとも自分は思います。
感情移入しているということは、その物語を主観で見ているということです。

ここでいう主観とは、つまり自分が登場人物の誰かの視点で物事を考える、ということで、例えば去年話題になった「逃げ恥」を例にすれば、自分は男なので平匡さんと感情を共有する、というような状態ですね。
これができていなくて、平匡さんとみくりさんの恋愛模様をあくまで観客として見る、だと、私は感動しないとは言わないまでも「あ〜、まあ面白いドラマかもね」くらいで終わってしまいます。
恋愛ものを見るなら、自分の中に「好きだ」という感情が生まれてこないと楽しくないのです。

でも客観で見てしまったとしたら、"自分が"みくりさんを好きになることはあり得ないので
(みくりさんでなくガッキーが好きになる、なら分かりますけど、それってドラマ関係ないしw)
みくりさんが好きだと思うようになるには、まず自分が平匡さんに共感して、平匡さんの目線でストーリーが見られないといけませんし、そして何より「平匡さんがみくりさんを好き」でなければなりません。
平匡さんに共感しても、平匡さんがみくりさんを好きじゃないなら自分もみくりさんは好きだと思わないわけです。だって私は今、平匡さんの気分なんですから。



閑話休題。(と言ってもまだ英語字幕版とは関係なくて恐縮ですが)

前回の日記で、私は「君の名は。を1回目に見た時は泣けなかった」というような旨を書いています。
これは事実で、泣けなかったどころか終盤近くまで感動もしませんでした。

なぜこうだったかははっきりしていて、自分は1回目を見る時に事前情報ゼロで臨んで「お気楽恋愛アニメ」だと思っていたので、中盤からの急展開にまったく着いていけなくなって瀧くんに感情移入する余裕がなかったのです。
(なので自分としては、1回目から泣ける人って頭いいんだろうな、と思っています)

ただ、ストーリー展開を知ってから見た2回目、3回目でも、やはり泣けませんでした。
これは「瀧くんの視点でストーリーに入ることはできた」けれども「瀧くんが三葉のことをそこまで好きなようには見えなかった」からです。
(今から考えれば何見てたんだと思いますが)
三葉は分かりやすいんですけどね…… 瀧くんは三葉の前だと平然と振る舞っていたりするので(もちろんこれにはちゃんと理由があるんですけど)、自分の中での相関図は

・三葉→(意中の人)→瀧くん に対して
・瀧くん→(戦友/もしくは友人)→三葉 に見えていたのです。

これだとダメなんですよね〜 これだと自分も三葉に対して「戦友/もしくは友人」としか思えなくなるので。
なので三葉が東京に逢いに来たシーンなどでも、三葉かわいそうだな、程度で感情が止まってしまって。
"瀧くんの三葉に対する好意の程度"を自分の感情が下回ることはあっても上回ることはありませんから「瀧くんが実は三葉のことを死ぬほど好きでも(ちゃんと感情移入できなくて)自分は三葉はそれほど好きじゃない」はあり得ても「瀧くんは三葉のことを好きじゃないのに自分は三葉が好き」にはなりません。
なので恋愛感情的な面で感動するためには、瀧くんの三葉に対する気持ちが実はすごく大きいんだと、本気で好きなんだとまず自分が理解しないといけないのです。



とまあ下らないことをダラダラと書いてきましたが、ようやく英語字幕版の話に入ります。

ちなみに英語字幕版というのは、4月からの北米公開のため、RADWIMPSの歌詞を英語にし、かつ台詞に英語の字幕を着けたものです。
これが国内でも期間限定で一部の劇場で公開されることになったので、わざわざ栃木から出向いていったのです。

日本に1000万人はいると思われる「君の名は。依存症患者」の大半の方々はRADの曲に注目されていたようですけど、自分はむしろあの台詞群をどう訳すかの方に興味がありました。
口語の言語間での翻訳は簡単ではなくて、特に原語で省かれてしまっている主語をどう蘇らせるかは、センスが問われるものです。

例えば、「いいなぁ、今頃二人は一緒か……」という三葉の台詞がありますよね。
これをそのまま他の言語に置き換えられなかった場合に、どう訳すか。それはつまり、ここで三葉が「"何を"もしくは"誰を"いいなぁ、と思っているのか」を定義しなければならない、ということです。

日本語の台詞は、少なくとも
「自分が好感を持っている二人が一緒にいて、私は一人でここに取り残されているのが寂しい(だから二人が羨ましい)」
「奥寺先輩と東京デートを満喫できる瀧くんが羨ましい」
「瀧くんと一緒にいられる奥寺先輩が羨ましい」
の三種類の解釈ができて、どれなのか一意には決められないはずです。発想が豊かな人ならもっと別の解釈が出てくるかもしれませんね。
もちろん個人個人での理解は一意だと思いますよ。自分もこれだってのは決まってますし。
でもこのシーンは、口から出た言葉と、感情とが食い違っている(可能性がある)シーンですから、100人中100人の理解がこれだ!と一致はしないはずです。

でもこれを訳す時にもし(言語構造の違いで)このまま訳すことができなくて「私は○○を羨ましいと思う」と表現せざるを得ないとしたら、これは元の三択ではなく一意に決まってしまいます。
それで、この訳を作る際に例えば「訳者に日本語の台詞だけ渡して、あとは勝手に訳してもらう」みたいないい加減な仕事はしないでしょうから、全面的ではなくともある程度は制作側の意向が伝わるはずで、それなら自分の解釈が合っているのかどうか分かるよね、と思ったのです。
(ちなみに上のシーンは、"そうだよね、そう訳すべきだよね! 訳作った人も分かってるじゃん!"とけっこう嬉しかったり。なぜ上から目線なのかw)



そんなこんなで楽しく(といっても後半は泣いてるので楽しいのかは謎ですが)鑑賞を進めていった結果、いよいよあのシーンが来ました。
あのシーンとは、瀧くんと離ればなれになった三葉が瀧くんの名前を思い出せなくなり、役場に向かって走っている途中で転倒して一瞬意識が遠のいた後の、たぶんこの映画のテーマを象徴する場面です。
具体的に書くとこのシーンのことです↓
(若干の脚色が入っています。不愉快な方がいらっしゃいましたらすみません。念のため折りたたんでおきます)


このシーン、泣かなかったという1回目でも唯一泣きそうになったシーンで、4回目以降はもう一旦消えたスパークルが再度流れ出す瞬間に泣いてて、
更に言うと映画を見ていない時でも、スパークルの「愛し方さえも 君の匂いがした」の歌詞を聴いただけで無条件に泣いてしまうという、まさにパブロフの犬状態になっているわけですが、
まあそんな病人の話はともかく、瀧くんが三葉に対して明確に意志を伝えた唯一のシーンですから、自分の中では超貴重な場面なのです。前述の通り、瀧くんが三葉をどう思っているかは、自分の感情移入度合いに多大に影響しますので。

なので、この「すきだ」を果たしてなんと訳すのかについてはとても関心がありました。
英語にしてもこのニュアンスがちゃんと伝わるように訳せるのかなぁ、と思いながら見ていたら、結局訳は

 I love you

でした。

当たり前でしょ? そう訳すしかないじゃん、と思いますか? たぶん多くの人の予想通りですよね。
でも自分にとってはこの"I love you"は超衝撃的でして……



日本語の「すきだ」という文字は必ずしも恋愛感情を意味しません。
例えば「(俺はカレーが)すきだ」かもしれないわけです。
もちろんあの場面で「あ〜瀧くんはカレーが好きなのか」って思う人がいたらお前今まで寝てただろと言いたくなりますが、単に文字だけ見ればそういうことです。

でも「I love you」は一意ですよね。俺はお前が好きだ、以外の何者でもなく、照れ隠しの言い逃れの余地もありません。
自分の中の瀧くん評価は、三葉のためならどんなことも厭わないし、いざとなれば命がけでも助けに行くだけの想いはあるけど、でも直接三葉を前にして好きだとか伝えるのは苦手、というものなので、
あの瀧くんが三葉に対して(間接的にとは言え)俺はお前が好きだと言った、というのは衝撃なのです。
すきだ はまだ分かるんですけど I love you は表現が直截的で、インパクトが違いすぎる。


で、ああ、瀧くん、そこまで本気で三葉が好きなんだ…… と思った瞬間に、前述の「瀧くんの三葉に対する想いの強さ=自分の感情移入の度合いと同じ意味」が跳ね上がってしまいまして。
例えば今まで瀧くんは三葉のことを100くらい好きだよねという理解だったのに、えっ、300くらいじゃん!と認識したというか……

前回の日記で「見るたびに毎回号泣ですよ」と書いてますけど当然これは誇張表現で(実際に号泣していたらヤバイ)、泣いてはいても号泣はしてないのですが、この"I love you"を見た時はこれまでの14回で一番耐え難かったです。
つくづく、プレミアムシートを選んでおいて本当に良かった、と思ったものでした(周りから見えませんから)


この14回目を見る前も、他人から見れば充分病的に見えたと思いますけど、あの頃はたとえ毎週3〜4回見ていたとしても、まだ自分の中ではこっちに復帰できる自信がありました。
でもこの字幕版を見たらなんかいきなりリミッターを越えたというか、人間として踏み込んではいけない領域に突入したというか……
戻ってこられる確信がなくなったような気がします。

2月に入るとさすがに上映館も回数も徐々に減ってきてしまっていまして、このまま上映が終了してしまったらDVDが発売されるまでの間はどうなるんだろうと不安に苛まれます。
同じ映画を15回も見に行ってまだ見足りないと思うようなことは人生で初なので(まあ普通ないですよね)、その流れがいきなり断ち切られたらなんかおかしくなるんじゃないかと。


という感じで、もうなんか終わってるとしか言いようがない人間のタワゴトでした。
こんな変な病気にかかってなくても、英語字幕版はそれなりに新鮮だと思いますので、2/10までに行ける人はぜひ行ってみてください。


EXIT