DIARY  2013/04
2013/04/10
すみません… いろいろあって更新が滞っていました。
この間に雪山教室の実技が二回ありましたので、そちらの振り返りを。

■東京都山岳連盟 雪山教室

まず実技第三回は、2/16-2/17の谷川岳・雪洞講習。

この雪洞講習は、積雪量によって雪洞の掘れる場所が変わることもあって
毎年別々の場所になるようですが、
今年はそこそこ積雪量が多かったことに加え、現地は吹雪…
おまけに本隊のバスが関越道の渋滞に巻き込まれて到着が遅れたため
ロープウェー駅から5分ほど登ったところにある、道路脇の斜面を掘ることになりました。

そんなこんなで、吹雪の中をひたすら掘ること数時間。
各班の戦力(=人数)や講師の方針によって、どこまでしっかり掘るかについてはバラバラで
人数の多い班はそれこそ教本に載っているような、お手本通りのきれいな雪洞を作り上げたところも
ありました。
自分らの班はというと、4人だった上に、雪がやたら堅い&途中で地面が出て掘る方向が限られたため
4人が入っても窮屈ではない程度まで掘り広げたら、それで終了。

ということで、掘削作業自体はそんなに大変だとは思いませんでした。
(ほとんど講師の長谷川さんが掘ったような気もするけど… すみません)

ただ、雪がねぇ… ほんと谷川の雪はたちが悪いです。
気温は−6℃と冷えているのに、やたらべちゃべちゃなんですよね。
なのでウェアやグローブに降った雪が生地にひっついて凍ってしまって。

降雪量自体は大したことはなくて、その面だけ見れば過去の四阿山や西大巓の方が
はるかに降っていましたけど、普通は払えば落ちるのでそんなに脅威には感じないわけです。
でもここの雪は、ほんの数分外に出ただけで、頭から足までひどい有様に。
四阿山の時は−14℃の吹雪でも何の怖さもありませんでしたが、ここは本気で死ねると思いました。
そんな吹雪の中、各班を見回りに歩かれていた切嶋主任には頭が下がります。

-----

一日目の講習はこれで終了。
雪洞の中は、吹雪の外界から比べれば天国のようで、のんびり過ごせました。
気温はやはり0℃前後までしか下がらないようで、元旦の甲武信の極寒テントに比べれば
十分暖かかったです。おかげで#3のシュラフでも問題なし。

※ちなみに、こうやって何度か寒い中で寝る経験をしてみて思うのは
 もっとも重要な防寒装備はウェアではなくて、ネックゲーターと象足だということです。
 「首」とつく部位をいかに冷やさないかが大切。
 特にネックゲーターは超重要で、これがあるのとないのとでは天と地ほども違います。
 初めて寒いところに泊まりに行く方は、ネックゲーターを持っていくことをお勧めします。
 費用対効果は凄まじいですよ。

なお、うちの雪洞は堅くて掘るのが大変だった分、夜間に天井が落ちてくることはなく
朝まで問題は起きませんでしたが、ある班は天井が下がりすぎて、夜中の2時に再度掘り直したそうです。
過酷すぎる…(;・∀・)

谷川岳

二日目はロープワーク、ワカン歩行などを各班に分かれて実施した後、
全員でビーコンによる埋没者捜索訓練を実施。

これはありがたかったですね。
これまでは、ビーコンを買っても使い方が分からないし
埋めて捜索訓練をしたら見つけられなくなる可能性がある(汗)ということで
購入に踏み切れなかったのですが、これで障害はなくなりました。
(ただ、探索自体は、長谷川さんから借りたPULSE Barryboxが高性能すぎて
 あまりにもあっけなく見つかってしまうので、拍子抜けな面もありましたが)

で、お昼に解散。自分は現地集合組でしたので、温泉に入ってのんびりしてから帰りました。



さて… この講習は事前に思っていたよりはるかに得るものが多かったので
ちょっと長くなりますがグダグダ書かせてもらいます。

今回、我が班の講師を務めてくださったのは
日本アルパインガイド協会(AGSJ)の長谷川 文さんでした。
廣川健太郎さんとや島田聡さんと共に、谷川岳・滝沢第三スラブの厳冬期登攀をされた時の様子が
NHKで放送されたこともあり、ディープに山にハマっている方であればご存じの方も多いことでしょう。

今回の初日は、雪洞を掘るだけで講習終了で、後は夕食を食べて寝るだけでしたので
寝るまでの間にいろいろ話を聞かせていただきました。

ちなみに、講師の方の話を聞ける機会は毎回あるのですが、前二回は参加当日かもしくは前日が
ほとんど徹夜に近い状態で、超・寝不足で参加していたので、夕食後はすぐに寝てしまっていました。
ですので、講師の方の話を長い時間聞くというのはこれが初めてだったのですが…

いや〜、何というか、ある意味ショッキングな経験でした。


僕は趣味で登山をやっているだけで、山岳部に入っていたわけではないので(父と弟は山岳部ですが)
身近に本気で山をやっている人はおらず、ましてや山に登ることが生活の一環であるという人など
見たことすらなかったわけです。
そこにいきなりプロと話す機会が来たのですから、
カルチャーショックを受けるのも分かってもらえるかと思います。

しかし、これは単に力量の差を見せつけられたから、ということだけではありません。

例えば友達をサッカーをして遊んでいたら、いきなり日本代表選手がやってきたとします。
これはこれでもちろんビビりますよね。
でもこの時、自分と日本代表選手との差は、基本的には力量の差です。
自分が日本代表選手に追いつけないのは、技術も努力も才能も足りないからで
方向性が違うからではありません。

でも、例えば自分に山登りの才能が人一倍あり、若い頃から年間300日山に入っていたとしても
自分は絶対に廣川さんや長谷川さんのところには行けないのです。
なぜかと言えば、進んでいる道が違うから。


一口に「山登り」と言っても、その形態は様々です。
僕はピーク時には毎週山に入りますから、周りの人からは相当な登山家だと思われていたりも
することがありますが、やっていることは単に登山道を歩いていることだけです。
これは、今やっている冬山講習でも基本的には同じです。
少なくとも、自分の登山の中に「登攀」という要素は含まれません。

なので、このまま何十年と山に行っていても、結局はスーパーハイカーになるだけです。
岩を登れるようにも、沢を登れるようにも、ましてや氷壁を登れるようにもなりません。
でも、それでいいと思っていました。というより、そのことに疑問を感じていませんでした。
長谷川さんと話すまでは。

でも、この日を境に、自分の登山感は根底から覆された気がします。


子供の頃、神奈川にある鷹取山に毎月のように連れていかれていました。
岩登りをされる方はご存じだと思いますが、この山はかつて石切場だったため
山頂には切り立った岸壁が多数あり、ロッククライミングの絶好の練習場になっている山です。

で、子供の頃は当然登れないので、岩登りをしようとは思いませんでした。
しかし、大人になって山登りを本気で始めて、鷹取山を懐かしく思い出すことがあっても
やはりあそこで岩登りをしようとは思いませんでした。そもそもそういう発想がなかったのです。

なぜ自分は「岩登り」は自分に関係ないと思っていたんだろう…?
この時になって急に、そんなことを考えるようになりました。岩登りも山登りの一部なのに。


なので、この日の衝撃をたとえて言うなら、鎖国していた日本人が初めて黒船を見た時の感覚に
近いものがあるのでしょう。
世界には日本しかないと思っていた、でもそれは違うんだよと教えてくれた、そんな感じです。

本当に、本当にこの日の会話は貴重な機会でした。
もしこういう出会いがなかったら、自分はずっと登山道を歩くだけの登山を
何の疑問も不満もなく続けていたことでしょう。
今はまだ混乱しているので、今後どういうスタイルで山に向き合っていくのかは決まっていませんが
こうして目を覚まさせてくれたことは、非常に自分のためになったと思います。
長谷川さん、ありがとうございました。

-----

…異常に長くなったので、硫黄岳の話は次回にします。

ちなみに、前回の富士山で講師を務めてくださったのはやはりAGSJの柳瀬さんでして
なぜか僕はASGJ組に配属される率が高いのでした。
4月の赤岳は廣川さんの班ですしね。…廣川さんの班だったんですけどね…

ああああ、赤岳行きたかったなぁ! 本当に行きたかった(´;ω;`)
今こうして書いていても悔しくて涙が出るわ… みんな頑張って!


EXIT